2024.09.23 【 2024.09.23 update 】
どんなことも厭わない
信頼と愛憎の結末――青の世界黎明期の物語。信頼と愛憎の結末――青の世界黎明期の物語。
Illust. ちゃきん
01 side. HONOME
若くして財閥総帥となった蝶ヶ崎ほのめは、かつてライバル視していた黒崎神門から召喚を受けた。
財閥の本社ビル、ミスティカルサイトの受付嬢となった倉敷世羅も同伴している。いきなり呼び付けてきた相手が相手。私服に白衣を羽織って身構えた。
「なんだろね。すっごく叱られたあの日以来、すっごくギクシャクしてたから、すっごくドキドキする……」
「どうせロクでもない用件ですの」
機械科学が驚異的な発展を遂げつつある現在。
触れた機械を片っ端から壊してしまう世羅は、極めて肩身の狭い思いをしていた。大小の企業から近隣店舗に至るまで、出入禁止を言い渡されるなど日常茶飯事。類例の無い【機構破壊】の異能を解明せんと、誘拐未遂に巻き込まれた経験も数知れず。
同様に【組成破壊】の異能を隠し持つほのめは、目の届く範囲に世羅を保護した。
ほのめが趣味で続けている研究を、機械に接触しない範囲で手伝ってもらう場合もある。世羅自身は独自の研究を辞めてしまったが、天才肌の発想と頭の回転の速さは、大人となっても健在だからだ。
「例えば、そうですわね……。斜陽の蝶ヶ崎財閥をハイドラ財団へ吸収合併させる仲介役を請けたとか」
「悪く考え過ぎだよ。なんだかんだ言って、最後はいつも味方してくれるのが、みかにいじゃん」
「だといいのですが。近頃はさりげないアドバイスもさっぱりありませんのよ? ……いえ。それは私の至らなさが問題でしたわ。忘れてくださいまし」
「あほのめはいつも忙しいもんね」
「総帥様に向かって、あほのめ言うな! 時間さえあれば、私だって……」
幻獣を創出する夢を、現実に変えられるだろうか?
いまや遺伝子工学は神門ばかりか、誰からも関心を抱かれない学問となった。まるで〝そちら側へ傾かせない抑止力が働いている〟ようにさえ感じる。
専攻がズレてしまい、一番になれる機会とライバルを同時に失ったのがスランプの始まり。父や弟は謎の死を遂げた。傾き掛けた財閥を建て直す責務も重くのしかかる。研究に割ける時間的余裕が無いのは紛れもない事実である、が……。
やがて、ふたりは待ち合わせ場所のオープンカフェにたどり着いた。
「久し振り、みかにい! ……えっと。あのこと、怒ってない?」
「心配するな。〝水に流す〟と言っただろう」
「ほんと!? 良かったああああーーーー!!」
「相変わらず元気だな、世羅。あほのめも息災でなにより」
「総帥様に向かって、あほのめ言うな! アンタたちは私の扱いが軽過ぎですの!」
タイミング良く、エスプレッソとチップス、ココアとカステラがテーブルに届けられた。
給仕ロボに触りたくなる衝動を抑え、世羅がテーブルにつく。直後、カステラは消えて無くなった。
「……ごっくん。アラサーの私が〝みかにい〟ってのもないね」
「その単語はアラフォーの私に効くから、控えてくださいますの?」
遅れてほのめも席についた。
初秋の日差しを遮る屋根の下、三人は三角形を描くように対面する。彼らの馴れ初めから実に20年の月日が流れていた。皆、年相応に成長し、あるいは老けている。人間なのだから当然の摂理である。
「黒崎さん? 神門さん? どう呼べばいいのかな? やっぱし神門かな?」
「いままで通りで構わん。関係性が変わるわけでもあるまい」
「うぐっ。私としては変えたいんだけど……。ま、いいや。とにかく、会えて嬉しい!」
「遺伝子工学に見切りを付けたアンタから呼び出しなんて、どういう風の吹き回しですの?」
懐疑的なほのめに、神門はこともなげに告げる。
自信に満ちあふれ、何度も煮え湯を飲まされてきた、憎たらしくも懐かしい表情で。
「おまえたちの〝脳〟を借りたい」
「おあいにくさま。電子工学に応用出来る知恵なんて、さほど持ち合わせていませんの」
「勘違いするな。浅知恵になど期待するものか。頭脳ではなく〝脳〟が欲しいと言ったんだ」
「……どういうこと?」
神門を信じ切っている世羅は、きょとんとした表情で首を傾げる。
天真爛漫な性格は、齢や苦労を重ねても、ほとんど変化がないように思われた。
「俺の研究目的が亡き妹の復活にあることは、薄々勘付いているだろう?」
「ええ。まあ」
「春日ちゃん復活のためなら―― 力を貸すよ」
「待ちなさいの、世羅。話は最後まで聞くべきですわ」
遺伝子工学を専攻していた当時の神門は、強靭な肉体の研究に没頭していた。
完璧な器に英傑の〝魂〟を宿らせ、無敵の兵士を創造する構想もあったという。
後半は裏ルートから極秘裏に仕入れた情報に過ぎない。だが、完成した技術を交通事故で喪った妹の復活に流用しようと考えていたならば、当時の尋常ならざる熱意に説明もつく。
しかしながら、計画は破綻した。残されたものは、クローン製造技術の初歩段階。
「百目鬼の協力を取り付けられなかったんですのね?」
「腐っても財界トップのひとり。察しが良いな」
原因は上層部の交渉ミス。神門の支援者であるロイガー・ダイナミクスが百目鬼財団と決裂した。
安倍晴明の再来と名高い百目鬼一族の当主は、環境破壊から目を背けながら躍進する機械科学を真っ向否定するNPO、リンドヴルム協会に囲い込まれている。英傑の〝魂〟を現世に喚び降ろす術は完全に封じられた。
「ならば発想を変えるまで」
「ロボットでも開発するつもりですの?」
「機械の身体にそこそこのAIを搭載するだけならば容易い。だが、そんなカラクリメカモドキを【春日】と呼ぶなど、鳥肌が立つ。俺は【春日】を創ってみせる」
神門はしばしば実現困難な発想を打ち出す。
不可能な妄想と思われても、あらゆる常識を覆し、最終的に達成してしまう。
その天才的頭脳と判断・実行力を前に、努力家の秀才であるほのめは、何度も敗北感を味合わされた。
だからこそ―― 続く彼の言葉は許せなかった。
「だが、サンプルとするべき【春日】は死んだ。俺の記憶だけを頼りに、ゼロから完璧な【春日】を創造するなど、いくらなんでも不可能だ」
「数々の逆境に打ち克ってきたアンタが、いまさら〝不可能〟と口にするんですの? 弱音を吐くなんて、青天の霹靂ですわね? 空はこんなにも晴れていますのに!」
「最期を看取れなかった。親が離婚して別居となったせいだ。俺が把握していない身体的特徴や精神的成長は、いくらでもあっただろう。希望のよすがの記憶さえ、日に日に薄れてゆく有様。……ならばこそッ!!」
神門は決意表明とばかりに、拳を握り締めた。
「記憶を集めねばならんのだッ!!」
「私たちは春日ちゃんをほとんど知りませんの。アンタに聞いた範囲がせいぜい」
「断片的な【春日】の記憶をかき集めたとて、完全なる【春日】の構築には到底至るまい。ゆえに、俺が欲するのは【春日】をまったく知らんヤツらの記憶だ。【すべての記憶】から【春日以外の記憶】を取り除けば、それは【春日】と断じても差し支えあるまい?」
耳を疑った。
ほのめの背筋を冷や汗が伝う。
「まさか……。全人類の記憶を集めるつもりですの? それこそ不可能ですの!」
「可能だ。時間さえ掛ければな。だが、人間の寿命は短い。生命の炎が先に尽きるだろう。ならば俺の〝脳〟をデータ化してAIに落とし込めばいい」
「理解の範疇を超えてますわ。そんな愚かな私に、アンタはなにを求めますの?」
「俺はおまえたちの才能を買っている。世羅の適応力。ほのめの根性。俺には遠く及ばんが、明晰な頭脳もな。なにひとつ成せないまま老いて失わせるには、あまりに惜しい」
「相変わらず歯に衣着せぬ物言いですわね……」
神門の傲慢な語り口調はいつも通り。慣れたもの。
……にも関わらず、薄ら寒さを感じる。いつも以上に感情を読み取れない。もとい、血の通った感情が汲み取れない。代わりに、要求される内容だけは想像がついてしまった。
世羅も同様なのだろう。怯えきり、すっかり言葉を失っている。
「初手として、おまえたちの〝脳〟をデータ化する」
「…………」
「次手として、速やかに俺の〝脳〟をデータ化しろ。世羅とほのめのデュアルコアなら、俺に匹敵する演算処理スペックになるはずだ。すでにハードウェアの準備は目処がついた。あとはソフトウェアのみ。俺が信頼するのはおまえたちだけだ。ほかの輩は誰ひとり信用ならん。三人で全人類を掌握しよう。そして【春日】を創ろうじゃないか」
「ふざけんな!!」
感じた恐怖は吹き飛んだ。妹ひとりのために、あまりにも身勝手な発想だった。提案された計画には、極めて重要なポイントが欠落している。
ほのめは怒りに肩を戦慄かせながら、神門を詰問した。
「アンタ……。私たちに〝死ね〟と言ってますの?」
「錆び付いた考えを捨てろ。データと成れば〝魂〟になど欠片も意味はない。時間の縛りからも解放される」
「知りませんわ! 独りでやってろ、ですの!」
「俺が自身の〝脳〟を直接いじるリスクは高い。AIのおまえたちに知識を叩き込み、俺の〝脳〟を託した方が成功率は格段に上がる。選択の余地は無い。理解はあとでしろ。なんなら世羅より先にほのめを優先しよう。世界で初めて、世界で一番の、生体AIの誕生だ。誇らしいだろう?」
焦点が定まらない、目的しか視えていない者の双眸。
蝶ヶ崎財閥が凋落していく最中で、幾度となく目にしてきた下衆な連中のソレと同じ。かつては目標とし、どこか憧れさえしていた人物は、底辺レベルにまで落ちぶれてしまっていた。
ほのめは〝魂〟の叫びを手のひらに込め、我欲に満ちた高弁を垂れ流す外道へぶつけた。
夕闇のカフェが騒然となる。
「……おぞましい。世羅と私に近付かないで頂戴」
彼にとって、共感は得られずとも、見下されるのは初めての経験。
頬の痛みを感じながら、神門は最適の言葉を模索し、音にした。
「願いを乞う立場の態度じゃなかったな……。悪かった」
「それ以前の問題ですの」
誠意の無さはすぐに見抜かれた。
「……聞いてもいいかな」
震える手でティーカップを握り締めた世羅が、視線を落としたまま、神門へ問い掛ける。
「私、春日ちゃんの生贄になるの……?」
「そうじゃない。世羅だって俺にとって大切な――」
「もう分かった。言わなくていいよ。聞きたくないから」
諭すように神門が発した音だけは、以前と変わらない。妹を気遣う兄のもの。
懐かしい想い出を穢され、顔を上げた世羅の瞳には涙が浮かんでいた。
「世界でたったひとり、大嫌いな子がいるんだ」
「そうか。おまえも辛い思いをしたんだな」
「私の想いはいつもその子に邪魔される。大好きな人はちっとも私を見てくれない。……ねえ。いま、みかにいは誰と喋ってるの?」
「なんの話だ?」
「私の面影に重ねてる、その子と、じゃない?」
「…………ッ!!」
核心を突かれて言葉を失った神門に、ほのめは呆れ返った。
「気付いてないフリかと思ってましたわ。本気で気付いてなかったなんて。最低最悪の屑野郎ですの」
「だって、おまえは、俺の妹、のような……」
「妹じゃないから、道具扱いするの? 生きてるんだよ? 考えて感じる〝魂〟があるんだよ? 春日ちゃんはとっくにいなくなったのに! 一生掛けたって、私に勝ち目なんかないじゃん!!」
世羅の訴えに、ほのめに叩かれた頬が、再びうずいた。
「……言い訳はしない。浅慮と無知を認めよう。そのうえで恥を忍んで頼む。助けてくれ、世羅、ほのめ。俺には敵が多過ぎる。俺の〝脳〟を託せる宛はほかに無い。おまえたちじゃなければ駄目なんだ!」
「無理だよ……。なんで分かってくれないの。……みかにいの馬鹿!!」
「世羅!!」
涙を疾走らせ、世羅は足早に立ち去った。
呆然とする神門を残し、ほのめもきびすを返す。テーブルにクレジットカードを投げ付けながら。
「お勘定。世羅の分も置いていきますの。お釣りは差し上げますわ」
「ほのめも俺を見捨てるのか?」
「ええ。〝脳〟はもちろん手も貸せませんの。……もし私たち三人がAIになったと仮定しても、問題は山積み。例えば全人類の記憶、具体的にどうやって手に入れる算段か教えてくれます?」
「一度は拘束する必要があるだろう。ただひとりの例外も無く」
「反抗勢力との衝突が発生しますの」
「尽く制圧する。各国の中枢にハッキングして武力を奪えば容易い」
「たくさんの血が流れますわ」
「案ずるな。落命したヤツからもデータは採集出来る」
「正気を疑います」
「俺は正気だ」
「アンタは妹に固執するあまり、あまりにも他者の尊厳を軽んじていますの」
「俺が手を下さずとも、遅かれ早かれ時は訪れるだろう。このまま機械科学が発達すれば個人情報は必ず管理されるようになる。わずかに未来を先取りするだけの話だ」
「仮にそんな哀しい結末が待ち構えているとしても――」
脱いだ白衣を小脇に抱え、背中越しにほのめは続ける。
いつしか、かんしゃくを起こした子供をあやすような、優しい口調となっていた。
「未来は未来。現在は現在。いまの倫理観じゃ、人道から外れた罪ですのよ?」
「時代の流れとともに禁忌は常識となる。歴史が証明している」
「詭弁ですわ。いずれにせよ悪事の片棒を担がされるなんて御免被りますの」
「人間が進化する瞬間に立ち会えるんだぞ?」
「興味ありません」
「冷静になれ」
「冷静になるのはアンタですの」
「すぐに返事を寄越せとは言わん。結論を急ぐな」
「熟考するまでもありませんわ」
「日を改めよう」
「二度と会いませんの。馬鹿とは」
「待て! 話は終わっていない!! おまえたちまで、俺を置いていかないでくれ!!!!」
追いすがる神門の手を、ほのめは振り払った。
「アンタは遥か先へ行ってしまいましたわ。ずっと追い続けていた背中は、もう、どこにも見当たりませんの」
黒崎研究室に対抗心を燃やし、蝶ヶ崎研究室を立ち上げた。
九頭竜学院大学の大学院時代。世羅が殴り込んで来たのは10年前にもなる。実家の手伝いで空けがちだった研究室は、いつしか世羅が連れ込んだ機械工学科の友人たちとの溜まり場へと変貌。少ない自由時間を幻獣の創造に費やそうとすれば、騒々しい世羅たちばかりか、気分転換と称した神門に邪魔されもした。
苦難の記憶がキラキラと光り輝く。
「馬鹿、か……。言う通りだな……」
崩折れた神門がかすれるような声で、悔恨の言葉を紡いでいる。
「なにが〝いままで通りで構わん〟だ……。なにが〝関係性が変わるわけでもあるまい〟だ……。なにもかも壊してしまったのか……。この、俺が…………」
冷たい秋風が通り抜けてゆく。
呪詛のような呟きが雑踏に紛れてしまっても、ほのめが振り返ることはなかった。