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2024.09.23 【 2024.10.12 update 】

どんなことも厭わない

信頼と愛憎の結末――青の世界黎明期の物語。信頼と愛憎の結末――青の世界黎明期の物語。

どんなことも厭わない

Illust. ちゃきん

01 side. HONOME

 若くして財閥総帥となった蝶ヶ崎ほのめは、かつてライバル視していた黒崎神門から召喚を受けた。

 財閥の本社ビル、ミスティカルサイトの受付嬢となった倉敷世羅も同伴している。いきなり呼び付けてきた相手が相手。私服に白衣を羽織って身構えた。

「なんだろね。すっごく叱られたあの日以来、すっごくギクシャクしてたから、すっごくドキドキする……」

「どうせロクでもない用件ですの」

 機械科学が驚異的な発展を遂げつつある現在。

 触れた機械を片っ端から壊してしまう世羅は、極めて肩身の狭い思いをしていた。大小の企業から近隣店舗に至るまで、出入禁止を言い渡されるなど日常茶飯事。類例の無い【機構破壊】の異能を解明せんと、誘拐未遂に巻き込まれた経験も数知れず。

 同様に【組成破壊】の異能を隠し持つほのめは、目の届く範囲に世羅を保護した。

 ほのめが趣味で続けている研究を、機械に接触しない範囲で手伝ってもらう場合もある。世羅自身は独自の研究を辞めてしまったが、天才肌の発想と頭の回転の速さは、大人となっても健在だからだ。

「例えば、そうですわね……。斜陽の蝶ヶ崎財閥をハイドラ財団へ吸収合併させる仲介役を請けたとか」

「悪く考え過ぎだよ。なんだかんだ言って、最後はいつも味方してくれるのが、みかにいじゃん」

「だといいのですが。近頃はさりげないアドバイスもさっぱりありませんのよ? ……いえ。それは私の至らなさが問題でしたわ。忘れてくださいまし」

「あほのめはいつも忙しいもんね」

「総帥様に向かって、あほのめ言うな! 時間さえあれば、私だって……」

 幻獣を創出する夢を、現実に変えられるだろうか?

 いまや遺伝子工学は神門ばかりか、誰からも関心を抱かれない学問となった。まるで〝そちら側へ傾かせない抑止力が働いている〟ようにさえ感じる。

 専攻がズレてしまい、一番になれる機会とライバルを同時に失ったのがスランプの始まり。父や弟は謎の死を遂げた。傾き掛けた財閥を建て直す責務も重くのしかかる。研究に割ける時間的余裕が無いのは紛れもない事実である、が……。

 やがて、ふたりは待ち合わせ場所のオープンカフェにたどり着いた。

「久し振り、みかにい! ……えっと。あのこと、怒ってない?」

「心配するな。〝水に流す〟と言っただろう」

「ほんと!? 良かったああああーーーー!!」

「相変わらず元気だな、世羅。あほのめも息災でなにより」

「総帥様に向かって、あほのめ言うな! アンタたちは私の扱いが軽過ぎですの!」

 タイミング良く、エスプレッソとチップス、ココアとカステラがテーブルに届けられた。

 給仕ロボに触りたくなる衝動を抑え、世羅がテーブルにつく。直後、カステラは消えて無くなった。

「……ごっくん。アラサーの私が〝みかにい〟ってのもないね」

「その単語はアラフォーの私に効くから、控えてくださいますの?」

 遅れてほのめも席についた。

 初秋の日差しを遮る屋根の下、三人は三角形を描くように対面する。彼らの馴れ初めから実に二十年の月日が流れていた。皆、年相応に成長し、あるいは老けている。人間なのだから当然の摂理である。

「黒崎さん? 神門さん? どう呼べばいいのかな? やっぱし神門かな?」

「いままで通りで構わん。関係性が変わるわけでもあるまい」

「うぐっ。私としては変えたいんだけど……。ま、いいや。とにかく、会えて嬉しい!」

「遺伝子工学に見切りを付けたアンタから呼び出しなんて、どういう風の吹き回しですの?」

 懐疑的なほのめに、神門はこともなげに告げる。

 自信に満ちあふれ、何度も煮え湯を飲まされてきた、憎たらしくも懐かしい表情で。

「おまえたちの〝脳〟を借りたい」

「おあいにくさま。電子工学に応用出来る知恵なんて、さほど持ち合わせていませんの」

「勘違いするな。浅知恵になど期待するものか。頭脳ではなく〝脳〟が欲しいと言ったんだ」

「……どういうこと?」

 神門を信じ切っている世羅は、きょとんとした表情で首を傾げる。

 天真爛漫な性格は、齢や苦労を重ねても、ほとんど変化がないように思われた。

「俺の研究目的が亡き妹の復活にあることは、薄々勘付いているだろう?」

「ええ。まあ」

「春日ちゃん復活のためなら―― 力を貸すよ」

「待ちなさいの、世羅。話は最後まで聞くべきですわ」

 遺伝子工学を専攻していた当時の神門は、強靭な肉体の研究に没頭していた。

 完璧な器に英傑の〝魂〟を宿らせ、無敵の兵士を創造する構想もあったという。

 後半は裏ルートから極秘裏に仕入れた情報に過ぎない。だが、完成した技術を交通事故で喪った妹の復活に流用しようと考えていたならば、当時の尋常ならざる熱意に説明もつく。

 しかしながら、計画は破綻した。残されたものは、クローン製造技術の初歩段階。

「百目鬼の協力を取り付けられなかったんですのね?」

「腐っても財界トップのひとり。察しが良いな」

 原因は上層部の交渉ミス。神門の支援者であるロイガー・ダイナミクスが百目鬼財団と決裂した。

 安倍晴明の再来と名高い百目鬼一族の当主は、環境破壊から目を背けながら躍進する機械科学を真っ向否定するNPO、リンドヴルム協会に囲い込まれている。英傑の〝魂〟を現世に喚び降ろす術は完全に封じられた。

「ならば発想を変えるまで」

「ロボットでも開発するつもりですの?」

「機械の身体にそこそこのAIを搭載するだけならば容易い。だが、そんなカラクリメカモドキを【春日】と呼ぶなど、鳥肌が立つ。俺は【春日】を創ってみせる」

 神門はしばしば実現困難な発想を打ち出す。

 不可能な妄想と思われても、あらゆる常識を覆し、最終的に達成してしまう。

 その天才的頭脳と判断・実行力を前に、努力家の秀才であるほのめは、何度も敗北感を味合わされた。

 だからこそ―― 続く彼の言葉は許せなかった。

「だが、サンプルとするべき【春日】は死んだ。俺の記憶だけを頼りに、ゼロから完璧な【春日】を創造するなど、いくらなんでも不可能だ」

「数々の逆境に打ち克ってきたアンタが、いまさら〝不可能〟と口にするんですの? 弱音を吐くなんて、青天の霹靂ですわね? 空はこんなにも晴れていますのに!」

「最期を看取れなかった。親が離婚して別居となったせいだ。俺が把握していない身体的特徴や精神的成長は、いくらでもあっただろう。希望のよすがの記憶さえ、日に日に薄れてゆく有様。……ならばこそッ!!」

 神門は決意表明とばかりに、拳を握り締めた。

「記憶を集めねばならんのだッ!!」

「私たちは春日ちゃんをほとんど知りませんの。アンタに聞いた範囲がせいぜい」

「断片的な【春日】の記憶をかき集めたとて、完全なる【春日】の構築には到底至るまい。ゆえに、俺が欲するのは【春日】をまったく知らんヤツらの記憶だ。【すべての記憶】から【春日以外の記憶】を取り除けば、それは【春日】と断じても差し支えあるまい?」

 耳を疑った。

 ほのめの背筋を冷や汗が伝う。

「まさか……。全人類の記憶を集めるつもりですの? それこそ不可能ですの!」

「可能だ。時間さえ掛ければな。だが、人間の寿命は短い。生命の炎が先に尽きるだろう。ならば俺の〝脳〟をデータ化してAIに落とし込めばいい」

「理解の範疇を超えてますわ。そんな愚かな私に、アンタはなにを求めますの?」

「俺はおまえたちの才能を買っている。世羅の適応力。ほのめの根性。俺には遠く及ばんが、明晰な頭脳もな。なにひとつ成せないまま老いて失わせるには、あまりに惜しい」

「相変わらず歯に衣着せぬ物言いですわね……」

 神門の傲慢な語り口調はいつも通り。慣れたもの。

 ……にも関わらず、薄ら寒さを感じる。いつも以上に感情を読み取れない。もとい、血の通った感情が汲み取れない。代わりに、要求される内容だけは想像がついてしまった。

 世羅も同様なのだろう。怯えきり、すっかり言葉を失っている。

「初手として、おまえたちの〝脳〟をデータ化する」

「…………」

「次手として、速やかに俺の〝脳〟をデータ化しろ。世羅とほのめのデュアルコアなら、俺に匹敵する演算処理スペックになるはずだ。すでにハードウェアの準備は目処がついた。あとはソフトウェアのみ。俺が信頼するのはおまえたちだけだ。ほかの輩は誰ひとり信用ならん。三人で全人類を掌握しよう。そして【春日】を創ろうじゃないか」

「ふざけんな!!」

 感じた恐怖は吹き飛んだ。妹ひとりのために、あまりにも身勝手な発想だった。提案された計画には、極めて重要なポイントが欠落している。

 ほのめは怒りに肩を戦慄かせながら、神門を詰問した。

「アンタ……。私たちに〝死ね〟と言ってますの?」

「錆び付いた考えを捨てろ。データと成れば〝魂〟になど欠片も意味はない。時間の縛りからも解放される」

「知りませんわ! 独りでやってろ、ですの!」

「俺が自身の〝脳〟を直接いじるリスクは高い。AIのおまえたちに知識を叩き込み、俺の〝脳〟を託した方が成功率は格段に上がる。選択の余地は無い。理解はあとでしろ。なんなら世羅より先にほのめを優先しよう。世界で初めて、世界で一番の、生体AIの誕生だ。誇らしいだろう?」

 焦点が定まらない、目的しか視えていない者の双眸。

 蝶ヶ崎財閥が凋落していく最中で、幾度となく目にしてきた下衆な連中のソレと同じ。かつては目標とし、どこか憧れさえしていた人物は、底辺レベルにまで落ちぶれてしまっていた。

 ほのめは〝魂〟の叫びを手のひらに込め、我欲に満ちた高弁を垂れ流す外道へぶつけた。

 夕闇のカフェが騒然となる。

「……おぞましい。世羅と私に近付かないで頂戴」

 彼にとって、共感は得られずとも、見下されるのは初めての経験。

 頬の痛みを感じながら、神門は最適の言葉を模索し、音にした。

「願いを乞う立場の態度じゃなかったな……。悪かった」

「それ以前の問題ですの」

 誠意の無さはすぐに見抜かれた。

「……聞いてもいいかな」

 震える手でティーカップを握り締めた世羅が、視線を落としたまま、神門へ問い掛ける。

「私、春日ちゃんの生贄になるの……?」

「そうじゃない。世羅だって俺にとって大切な――」

「もう分かった。言わなくていいよ。聞きたくないから」

 諭すように神門が発した音だけは、以前と変わらない。妹を気遣う兄のもの。

 懐かしい想い出を穢され、顔を上げた世羅の瞳には涙が浮かんでいた。

「世界でたったひとり、大嫌いな子がいるんだ」

「そうか。おまえも辛い思いをしたんだな」

「私の想いはいつもその子に邪魔される。大好きな人はちっとも私を見てくれない。……ねえ。いま、みかにいは誰と喋ってるの?」

「なんの話だ?」

「私の面影に重ねてる、その子と、じゃない?」

「…………ッ!!」

 核心を突かれて言葉を失った神門に、ほのめは呆れ返った。

「気付いてないフリかと思ってましたわ。本気で気付いてなかったなんて。最低最悪の屑野郎ですの」

「だって、おまえは、俺の妹、のような……」

「妹じゃないから、道具扱いするの? 生きてるんだよ? 考えて感じる〝魂〟があるんだよ? 春日ちゃんはとっくにいなくなったのに! 一生掛けたって、私に勝ち目なんかないじゃん!!」

 世羅の訴えに、ほのめに叩かれた頬が、再びうずいた。

「……言い訳はしない。浅慮と無知を認めよう。そのうえで恥を忍んで頼む。助けてくれ、世羅、ほのめ。俺には敵が多過ぎる。俺の〝脳〟を託せる宛はほかに無い。おまえたちじゃなければ駄目なんだ!」

「無理だよ……。なんで分かってくれないの。……みかにいの馬鹿!!」

「世羅!!」

 涙を疾走らせ、世羅は足早に立ち去った。

 呆然とする神門を残し、ほのめもきびすを返す。テーブルにクレジットカードを投げ付けながら。

「お勘定。世羅の分も置いていきますの。お釣りは差し上げますわ」

「ほのめも俺を見捨てるのか?」

「ええ。〝脳〟はもちろん手も貸せませんの。……もし私たち三人がAIになったと仮定しても、問題は山積み。例えば全人類の記憶、具体的にどうやって手に入れる算段か教えてくれます?」

「一度は拘束する必要があるだろう。ただひとりの例外も無く」

「反抗勢力との衝突が発生しますの」

「尽く制圧する。各国の中枢にハッキングして武力を奪えば容易い」

「たくさんの血が流れますわ」

「案ずるな。落命したヤツからもデータは採集出来る」

「正気を疑います」

「俺は正気だ」

「アンタは妹に固執するあまり、あまりにも他者の尊厳を軽んじていますの」

「俺が手を下さずとも、遅かれ早かれ時は訪れるだろう。このまま機械科学が発達すれば個人情報は必ず管理されるようになる。わずかに未来を先取りするだけの話だ」

「仮にそんな哀しい結末が待ち構えているとしても――」

 脱いだ白衣を小脇に抱え、背中越しにほのめは続ける。

 いつしか、かんしゃくを起こした子供をあやすような、優しい口調となっていた。

「未来は未来。現在は現在。いまの倫理観じゃ、人道から外れた罪ですのよ?」

「時代の流れとともに禁忌は常識となる。歴史が証明している」

「詭弁ですわ。いずれにせよ悪事の片棒を担がされるなんて御免被りますの」

「人間が進化する瞬間に立ち会えるんだぞ?」

「興味ありません」

「冷静になれ」

「冷静になるのはアンタですの」

「すぐに返事を寄越せとは言わん。結論を急ぐな」

「熟考するまでもありませんわ」

「日を改めよう」

「二度と会いませんの。馬鹿とは」

「待て! 話は終わっていない!! おまえたちまで、俺を置いていかないでくれ!!!!」

 追いすがる神門の手を、ほのめは振り払った。

「アンタは遥か先へ行ってしまいましたわ。ずっと追い続けていた背中は、もう、どこにも見当たりませんの」

 黒崎研究室に対抗心を燃やし、蝶ヶ崎研究室を立ち上げた。

 九頭竜学院大学の大学院時代。世羅が殴り込んで来たのは十年前にもなる。実家の手伝いで空けがちだった研究室は、いつしか世羅が連れ込んだ機械工学科の友人たちとの溜まり場へと変貌。少ない自由時間を幻獣の創造に費やそうとすれば、騒々しい世羅たちばかりか、気分転換と称した神門に邪魔されもした。

 苦難の記憶がキラキラと光り輝く。

「馬鹿、か……。言う通りだな……」

 崩折れた神門がかすれるような声で、悔恨の言葉を紡いでいる。

「なにが〝いままで通りで構わん〟だ……。なにが〝関係性が変わるわけでもあるまい〟だ……。なにもかも壊してしまったのか……。この、俺が…………」

 冷たい秋風が通り抜けてゆく。

 呪詛のような呟きが雑踏に紛れてしまっても、ほのめが振り返ることはなかった。

02 side. SERA and NANAO

 神門の前から逃げるように走り去った世羅を、両手を広げて出迎える者がいた。

 周囲のざわめきも気にせず、大声で泣きじゃくる彼女を包み込む。

 ひとしきり感情をぶちまけた世羅が落ち着きを取り戻したのを見計らい、獅子島・レーベ・七尾は傷心の後輩へ優しく声を掛けた。

「よく頑張りましたね」

「……うん」

「よく気持ちを伝えましたね」

「うん……」

「つらかったですね、セーラ」

「うんっ!!」

 七尾は蝶ヶ崎財閥の自社ビル、ミスティカルサイトのエンジニアとして働きつつ、護衛の役目も担う。

 世羅が【機構破壊】を行使する様子が動画で拡散され、不特定多数から怨恨や好奇の視線を向けられるようになったためだ。

 自慢のAIを搭載した小型ロボット〝ディア〟が、世羅の周囲を24時間監視している。

「シシシシマくらいのむねにくがあれば、みかにいも私を恋愛対象として見てくれたのかな……」

「恐らく関係ないですね」

「……振られたのが悔しいから言ってみただけ。十年前と変わってなかったもん。なんにも」


 十年前――

「みかにいが、なんか、おかしい」

「黒崎博士が異常なのはいつもだろ」

「言えてる。彼は胸の大きなお姉さんに見向きもしないしね!」

「そんな話してない……」

 雷鳥超と戦斗怜亜が、不満げに机へ突っ伏す世羅に〝いつも通り〟の反応を返す。

 蝶ヶ崎研究室の丸テーブルを囲み、四人の若者が雑談に興じていた。

 世羅と神門の馴れ初めは、彼らの九頭竜学院大学時代から、さらに十年遡る。

 妹が急逝した報せを受け、母方の実家から生まれ育った東京へ戻った神門は、喪失感に苛まれる日々を過ごした。葬儀を終えたある日のこと、彼は妹と瓜二つの少女と運命的な邂逅を果たす。

 しばし交流したのち、神門は九州へ戻ったが、互いの存在は互いの記憶へ鮮烈に刻まれた。

 世羅は中学校の卒業直後、最難関と誉れ高い九頭竜学院大学に挑んだ。

 流石に一年間の浪人生活を経験させられたが、翌年には見事に入学を果たしている。遺伝子工学の権威となった神門の研究を手伝いたいという熱意が、勉強嫌いの世羅にそうさせた。

「……レイア! さっきのはセクハラ発言ですよ? いちいち指摘するのも疲れましたが、ワタシにもいやらしい視線ばかり。親しき仲にも礼儀ありデース!」

「いやあ。子供の頃のクセが抜けなくてね。それはそれとして、黒崎さんの感性がズレてるのは確かだ」

「なんでみかにいの悪口言うの!?」

「おまえが真っ先に言い出したんだろうが……」

 大学での世羅は友人に恵まれた。

 20歳を迎えたばかりの怜亜は二回生。21歳の超と19歳の世羅は三回生。23歳の七尾は卒業を間近に控える四回生となっていた。夢を共有する怜亜と超、色欲に正直な怜亜と七尾、幼馴染の怜亜と世羅。年次こそバラけているが、活発で嫌味の無い青年を主軸に、奇妙な交流が始まるのは必然だったのかもしれない。

 三年間はなんら接点の無かった世羅と七尾も、すぐに打ち解けた。

 異能についても親身になって調べてくれたが、それについては、未解明のまま断念している。

「……ハァ。ワタシはなにもかも中途半端」

「急にどしたの、シシシシマ?」

「独り言。なんでもないデース」

 機械工学科と電子工学科の双方に在席する七尾は、AI開発のエキスパートとして将来を嘱望された。……にも関わらず、分野がまったく異なる母の仕事を継ぐかどうかで心中は揺れている。

 特殊な生い立ちから秘密主義な部分があり、仲間にも悩みを打ち明けられていない。

「……で? 黒崎博士がどうした?」

 自動操縦の車椅子を走らせ、超が戸棚から回収したカステラを無愛想に投げ付ける。

 言葉遣いはぶっきらぼうでも、面倒見の良さは抜群なのである。ちなみに、カステラは一瞬で消えた。

「どんどんやつれてる気がする。そもそも遺伝子工学科棟に来ないんだよね。無機物と有機物を融合させて無機生物を創り出す私の研究も、みかにいの研究ありきだから、ちっとも進まなくなっちゃった。それはどうでもいいんだけど……」

「どうでもいいものか。才能を活用しろ。もっと強欲になれ」

「黒崎サンならよく見掛けます。言われてみれば目の下にクマがあったような?」

「あちこちの学科棟に顔を出してるらしいよ」

「それ、ほんと!?」

 思わぬ情報に世羅が身を乗り出し、残りの三人がそろって肯首する。

「研究も放りだして、なにしてるんだろ……」

「どんな天才でも人間は人間。行き詰まることもある。アイディア探しってとこだろう」

「だからって複数分野の掛け持ちなんて、僕なら〝脳〟がパンクしちゃうよ。女の子のお誘いならいくらでも受けるけど。あー。あづみちゃんと交際出来ないかなー。獅子島さんの後輩だよね? 紹介してよ!」

「レイアにだけは、絶対、紹介しないデース」

「ああ……。近くて遠い電子工学科! 彼女は千年に一度生まれ落ちるかどうかの最高に僕好みのおっぱ――」

「笑顔で最低ムーブすんな。ボコすよ?」

「痛ッ!? 殴ってから言うなよ。卑怯だぞ、倉敷!」

「もう一発いっとく?」

「あ痛ァッ!? すんません! 勘弁して!」

 逃げる怜亜を追い掛ける世羅。

 ふたりは退室してしまった。

「……解散するか」

「デースねー……」

 そして、一夜が明けた。

 四人は再び集まっている。世羅が所属する蝶ヶ崎研究室へ。

 家業で大忙しの室長、ほのめは今日も不在だった。

「みかにいを捕まえて、問い詰めた」

「相変わらず行動力の塊だな」

「お陰で僕の小学生時代は黒歴史まみれだよ。ふふふ……」

 哀愁を背負わせる怜亜を尻目に、神門の言い分が世羅から伝えられた。

 いわく――

 クローンを創り出す方法には目処がついた。

 肝心のクローンに宿らせる魂の確保が絶望的だと判明。

 遺伝子工学で手に入れた知識を電子工学へ活かしたいと考えている。

 魂に代わるものをゼロから創出する。最高峰の人工知能を。

「それ以上は教えてくんなかった。むかむか!」

「やめて……。僕のこめかみをグリグリしないで……」

 一般女子から大人気のイケメンも、幼馴染の圧には手も足も出ない。

「だから黒崎サン、頻繁に電子工学科へ出入りしてるんですね。ワタシも何度か声を掛けられました」

「えー!? なんで昨日教えてくれなかったの!? 親友に対する裏切りだよ!!」

「言おうとしましたよ!? セーラとレイアが喧嘩を始めて、言う機会を逸したんデース!!」

「せんとくんのせいかーっ!!」

「冤罪だーっ!!」

 懐疑的な視線はそのまま親友にも向けられた。

「……何度も声掛けられて、恋しちゃったりしてない?」

「ノンノン! ワタシには結婚相手を選ぶ権利なんてありません! 話題もAIに関することだけデース!」

「自由恋愛が禁止なんて、忍者の末裔も大変だな。掟だの風習だのと古臭い」

「アハハ……。まあ、仮に恋愛OKでも、パパという最難関があります」

「物理学者にして免許皆伝のアメリカン・ニンジャ。どこのどいつだ、カール・ワイバーン」

「パパの出身はまさにドイツデース! スグルも上手いこと言いますね!」

「俺がダジャレをかましたみたいに言うな!」

「……忍者」

 世羅がぽつりと呟く。

 三人は反射的に身構えた。とんでもない提案が飛び出してくると確信して。

「みかにいの部屋に忍び込もう! でもって、最近なにしてるのか調べよう!」

「普通に犯罪だが?」

「みかにいと私の関係なら許されるから! たぶん! だから、みんなも手伝って!」

「せいぜいバレないようにやるんだな。俺は正義に反する行いには加担しないぞ。無論、怜亜も貸さん」

「そうだね。友達として聞かなかったことにはするけどさ」

「……うう~。……シシシシマ~」

「うっ。潤んだ瞳でワタシを見ないでください……。分かった! 分かりましたから! とはいえ、万が一にも家名に泥は塗れません。黒崎ルームのアンロックまでですよ?」

 丑三つ時。なにもかもが寝静まった頃に作戦は決行された。

 暗がりの中、木々を伝って壁に取り付いた七尾が、鍵の掛けられた窓を難なく開ける。

 窓枠から縄梯子を地上へ降ろすと、すぐ近くの植え込みから世羅が顔を出した。

「黒崎サンは仮眠中。監視カメラは十分間だけ機能停止させました。見回りの警備員さんが接近したらお知らせします。なるべく手短に!」

「ありがとう。行って来る!」

 久し振りに訪れた神門の個室はひどく散らかっていた。何度も推論を重ねて断念したのだろうメモ書きが、紙くずとなって散乱している。携帯食の包装ゴミや脱ぎ捨てた服も。

 いつも几帳面な神門からは想像も付かない惨状だった。

 異様な部屋の片隅に、ぼんやり光る箱が静かな旋風音を放っている。

 世羅の人生とは無縁の物体。モニターは消されているが、いわゆるパーソナルコンピュータ。規格外の大きさであることから、かなりのハイスペックであると想像が付く。

「あれだけは触らないように注意して、と……。紙くずとかにヒントはないかな……?」

「何者だ!!」

「わわ!?」

 唐突に部屋のドアが開け放たれた。

 中腰になっていた世羅がバランスを崩し、後ろにひっくり返る。

「なんだ、世羅か。悪戯も大概にしろ。仮にも男の部屋だぞ? しかも、深夜になにをしてるん――」

 神門の言葉が途切れ、表情が凍りつく。

 世羅の指先が床置きのコンピュータに、ほんのわずか、触れていた。

「手を離せ!!」

 直後に響き渡る爆発音。

「あっ! こ、壊しちゃった、かも……」

「どけっ! ああっ。……【春日】! 【春日】【春日】【春日】【春日】【春日】ーーーーッ!!」

 世羅を払い除け、神門は煙を吹く本体に構わず、モニターをオンにする。

 キーボードに指を疾走らせるが、吐き出されるのはエラー音のみ。

 逡巡ののち、再起動も試みたが、無駄に終わった。

 異変に気付いた七尾が死角から覗き見た光景は、尻餅をつく世羅と、愕然となり立ち尽くす神門。

「えっと……。あの……。いちおう……。悪気は無かったよ……?」

「……おまえ。自分がなにをしでかしたか分かってるのか? ……殺したんだ。人を。俺の妹を。【春日】を! 遺伝子工学に見切りを付け、独学で電子工学を学び、ようやく完成に近付いていた【春日】の人工知能を!」

「ご、ごめん。ごめんなさい、みかにい……」

「妹を差し置いて自分ばかり成長しておきながら、なにが〝みかにい〟だ。馴れ馴れしく呼ぶな!」

 かつて無い凄まじい憎悪が、好意を寄せる相手から突き付けられた。

 ずっと大切にして来た関係が、呆気なく壊れた瞬間だった。

 激昂する神門は窓の外へ視線を移す。

「そこにいるのは獅子島か? ……ああ。繋がったよ。おまえたちは友人だったな。世羅をそそのかしたのか。どうせ俺に人工知能の権威を奪われるのが怖かったんだろう!!」

「ご、誤解! ……でもないんでしょうね。あながち……」

「シシシシマは悪くない! 私が巻き込んだだけだから!」

「結果がすべて。同罪だ」

「みかにい!」

「黙れ! 近付くな! その名で呼ぶなと言っている! ……顔も見たくない。二度と姿を現すな。報いを受ける日を、ただただ覚悟しておけ」

「ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい、ごめん、なさい、みか、にい……」

「……ソーリィ。行きましょう、セーラ」

 うわ言のように謝罪の言葉を繰り返すばかりの世羅に肩を貸し、七尾は窓から飛び降りた。

 眠れぬ夜が明け――

 正気に返った世羅は泣きじゃくり、今度はひたすら七尾へ謝罪の言葉を繰り返している。神門は九頭竜学院大学および大学院で最高に近い発言力を有していた。叡智ある言葉に真っ向から刃向かえる者など皆無。

 強制退学を覚悟していたふたりの元へ、想定外の人物が訪問する。

「みかに―― く、黒崎、さん……?」

「昨晩は言い過ぎた。謝る。この通りだ」

 目を疑った。

 完全なる被害者である神門が畏まり、加害者のふたりへ頭を垂れているのだ。

「顔を上げてください! ワタシたちこそあまりに軽率でした。言い逃れはしません。どんな処分も受け入れる覚悟です」

「では、折衷案だ。水に流そう」

「……え?」

「なんで!? だって、私、とんでもないことしたんだよ!? 人を……。あなたの妹を、こ、殺――」

「違う。壊しただけだ。あれは到底〝俺の妹〟とは呼べない代物だった。バックアップも取ってないような未完成品。むしろ方針を改める機会となった。感謝さえしている」

「許して、くれるの……?」

 理解が追い付かない。

 かろうじて、かすれそうな声が絞り出された。

「許すか許さないかを問われれば〝許す〟が、距離は置かせてくれ」

「……そっか。そうだよね。うん」

「俺はこれから本格的に電子工学の道へ進む。完璧な【春日】を生み出すためにな。少なくともこれまで以上に電子機器を扱うこととなる。世羅を関わらせるわけにはいかない。……仮に二度目が起きたとして、冷静さを取り戻せる自信が無いんだ。納得してくれ」

「ううん。私こそ、いつまでも子供のままで迷惑掛けた。本当にごめんなさい」

 幾度目とも知れない謝罪に返答は無かった。

 もはや神門は世羅を見ていない。

「獅子島」

「はい」

「おまえには引き続きアドバイスを願いたい。人工知能分野において、少なくとも現在の頂点は、おまえを置いてほかに無い。卒業までの半年足らずだが、頼めるか?」

「分かりました。ワタシの知識をすべて託しましょう。必要があればいつでも連絡してください」

「助かる。あとは各務原との繋がりも必要だ。パイプ役を果たしてくれるか?」

「電子工学科の一回生で頭角を表し始めたばかりなのに、よくご存知ですね」

「当然だ。九頭竜学院大学関係者すべての能力を把握しているからな」

 親友は乞われ、自分は拒まれた。

 許されたのは七尾の知識と人脈。おまけのおまけに過ぎないのだと悟り――

 午後の雑談タイム、世羅は精彩を欠いた気色で仲間に伝えた。

「せんとくん、ちょーくん、お願い。みかにいが困ってたら助けてあげて」

「ん? べつにいいけど? あの人に頼られることなんてあるかな?」

「……なにがあったか知らんが、まあいい。心に留めておく。だが、おまえらも俺らを頼れ。いいな?」

「うん。ありがとう」

「サンクス、です」

 神門は遺伝子工学科から電子工学科へ移籍し、世羅は自身の研究を打ち切った。

 七尾が大学を卒業し、いつしか怜亜や超とも疎遠となる。

 四回生の間は寮に引き籠もった。黒崎博士の邪魔をした厄介者として後ろ指を刺された。

 誰もなにも言わない。聞かない。打ち明けるのを待っているのかもしれない。

 無為な毎日が過ぎてゆく。


 なんの成果も残せず、大学から籍を外す手続きをしたあと。

 見兼ねたほのめに拾われ、七尾とも再会し、いまに至る。ふたりの慈悲が壊れ掛けの世羅を支えた。

「なんで私だけが、こんな要らない能力、持ってるんだろう……」

 それは、遠い遠い宇宙の果てからやって来た、クスミカモのギフト。人智を超えた異能。

 子供にとっては楽しい必殺技も、大人になって以降は、いつも足を引っ張る。

 クスミカモにとって最初の友達である〝世羅本人が望んだ超能力〟という真実はとっくに忘れた。否。虚数領域と化した第6星界において、その果てにある事物は認識不能。ゆえに記憶は完全に失われている。

 あの日以来、神門は世羅に連絡を寄越していない。

 ついさっき呼び出されたのも、ほのめ経由で声を掛けられただけ。

 神門は明確に世羅を避けている。理由は歴然。どうしても手の届かない妹を想起させるからだ。

「それでも! 覚えててくれたのが嬉しかった! ……なのにっ!!」

 いま、してあげられるのは、小さな背中をさすることだけ。

 泣いてばかりの親友に、プライベートの時間を割けないのが、なんとも歯がゆい。

 七尾はデネボラを名乗り、アルタイルこと怜亜や、カノープスこと超とともに、シャスター開発計画へ携わっている。人類の明るい未来へ繋がると信じて――

 計画は水面下で進められている。誰にも明かせない極秘プロジェクト。

 シャスターの根幹となるAIに親友の〝脳〟が使われようとしていること。計画の首魁たるソルが神門であること。これらの最高機密は、当事者である七尾さえも知らされていなかった。

 報いを受ける日が、迫る。